765人のポーランド孤児を救った日本人

第一世界大戦が終わる1918年までポーランドは帝政ロシアの支配下にあった

10万人を超えるポーランド人がシベリアに送られ、留め置かれた

1917年のロシア革命が勃発

 

戦火の中、逃げ惑うシベリアのポーランド人は極寒の地で次々と命を落としていった

その中には両親を亡くした孤児も混ざっていた

 

ポーランドはアメリカやイギリスなどに助けを求める手紙を出したが、返事はなかった

 

そんな中、唯一 返事を送ってきたのが日本だった

そして765人の孤児たちが船で日本へと運ばれ、手厚く保護された

 

来日当時、ポーランド孤児たちは栄養不足からチフスを患い、

頭にはシラミがわく最悪の健康状態

 

そんな彼らを懸命に看護したのが日本赤十字社から派遣された看護師たち

増上寺からはオモチャと文房具が寄贈され、

慶應義塾大学のホールでは子供たちのためにコンサートが開かれた

 

全国から集まった寄付は72万7千8百円、現在の価値に表すと5億円近い

手厚い看護と支援を受け、子供たちは回復、次第に明るさを取り戻していった

2年後、ポーランドに帰国、誰一人 欠ける事は無かった

 

ポーランドに戻った孤児たちは日本での体験を語り継ぎ、

終生 日本の事を忘れなかったという

孤児が語り部となりポーランドは親日国となった

 

その恩を返すように、第二次世界大戦時、ポーランドは極秘情報の提供をしてくれた

 

1945年に開かれたヤルタ会談

イギリスのチャーチル アメリカのルーズベルト、ソビエトのスターリンらが

ウクライナのクリミア半島のヤルタで会談、

第二次世界大戦後の世界について話し合われた

敵国であるドイツや日本には極秘の会談だった

この会談でソ連が日本の領土に侵攻することが決まり、

その極秘情報を連合国側のポーランドが日本に知らせてくれたのだ

さらにポーランドは阪神淡路大震災の孤児を招き、3週間もてなして元気づけてくれた

 

日本人である事を誇りに思う

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