Archive for the ‘歴史について’ Category

765人のポーランド孤児を救った日本人

日曜日, 6月 8th, 2014

第一世界大戦が終わる1918年までポーランドは帝政ロシアの支配下にあった

10万人を超えるポーランド人がシベリアに送られ、留め置かれた

1917年のロシア革命が勃発

 

戦火の中、逃げ惑うシベリアのポーランド人は極寒の地で次々と命を落としていった

その中には両親を亡くした孤児も混ざっていた

 

ポーランドはアメリカやイギリスなどに助けを求める手紙を出したが、返事はなかった

 

そんな中、唯一 返事を送ってきたのが日本だった

そして765人の孤児たちが船で日本へと運ばれ、手厚く保護された

 

来日当時、ポーランド孤児たちは栄養不足からチフスを患い、

頭にはシラミがわく最悪の健康状態

 

そんな彼らを懸命に看護したのが日本赤十字社から派遣された看護師たち

増上寺からはオモチャと文房具が寄贈され、

慶應義塾大学のホールでは子供たちのためにコンサートが開かれた

 

全国から集まった寄付は72万7千8百円、現在の価値に表すと5億円近い

手厚い看護と支援を受け、子供たちは回復、次第に明るさを取り戻していった

2年後、ポーランドに帰国、誰一人 欠ける事は無かった

 

ポーランドに戻った孤児たちは日本での体験を語り継ぎ、

終生 日本の事を忘れなかったという

孤児が語り部となりポーランドは親日国となった

 

その恩を返すように、第二次世界大戦時、ポーランドは極秘情報の提供をしてくれた

 

1945年に開かれたヤルタ会談

イギリスのチャーチル アメリカのルーズベルト、ソビエトのスターリンらが

ウクライナのクリミア半島のヤルタで会談、

第二次世界大戦後の世界について話し合われた

敵国であるドイツや日本には極秘の会談だった

この会談でソ連が日本の領土に侵攻することが決まり、

その極秘情報を連合国側のポーランドが日本に知らせてくれたのだ

さらにポーランドは阪神淡路大震災の孤児を招き、3週間もてなして元気づけてくれた

 

日本人である事を誇りに思う

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特権階級が身を削った版籍奉還と廃藩置県

金曜日, 1月 24th, 2014

●なぜ日本は欧米列強に肩を並べる事ができたのか?

それは黒船が浦賀に来る13年前、中国がイギリスに侵略されたアヘン戦争に始まる

当時、イギリスは中国から大量の紅茶を輸入しており、莫大な赤字を積み上げていた

そこで支払っていた銀を抑えるために、インドで栽培したアヘンを中国に密輸

中国の政府はアヘンの輸入を禁じていたが、中国国内でアヘンは飛ぶように売れた

事態を重く見た中国政府は密輸の取り締まりを強め、

密輸が行われていた港のアヘンを没収、

加えてアヘン商人の締め出しを実行した

イギリスはそれに武力で報復、大艦隊によって攻撃され中国は降伏

巨額の賠償金に加えて香港を割譲した

欧米列強の無茶苦茶な侵略を知り、日本は倒幕運動につながっていく

 

イギリスに侵略されたインド、バングラデシュ、香港、ミャンマー、マレーシア

ベトナム、カンボジア、ラオスはフランスに、インドネシアはオランダに、

マカオ、東ティモールはポルトガルに、フィリピンはアメリカに、

ロシアは満州あたりまで、アジア諸国は欧米列強にことごとく侵略された

 

統治が不十分だったアジア諸国は中央政府に支配を受けない豪族が点在していた

欧米列強はそういった豪族を支援し内戦を起こさせ、

それに乗じて侵攻するパターンが多かった

 

●日本が侵略されなかったのは明治維新のおかげ

・大政奉還を提案した坂本竜馬

薩長と幕府の戦争が起きれば、内戦が長引き欧米列強の介入の恐れがあった

幕府が早期に大政奉還したおかげで、戊辰戦争が半年で収束した

幕府から政権を引き継いだ明治政府は国際的に独立国家として認められた

・特権階級が身を削った版籍奉還

戊辰戦争で勝った藩主自ら領地を国に差し出した

2年後には274名の大名が版籍奉還を行った

・既得権益を消滅させた廃藩置県

各藩は経済的にも政治的にも独立しており国と同じ形態だった

廃藩置県は300に分かれていた国を統一する目的があった

明治政府は戊辰戦争で勝った藩も消滅させたので、他の藩も従わざる得なかった

・武士を解体した国軍の徴兵システム

欧米列強に侵略されない為に、まとまりが強い国軍を持つ必要があった

特権を奪われた武士を優先せず、あくまで広く徴兵した

こうして明治維新は成り立ち、日本は侵略されずにすんだ

 

現代で言えば武士は公務員、藩主は政治家…

はたして彼らは身を削る事ができるのだろうか…

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ジャヤワルダナを知らない日本人へ

火曜日, 1月 14th, 2014

スリランカの初代大統領:ジャヤワルダナ氏

彼こそ戦後の日本を救ってくれた人物だ

 

●ジャヤワルダナを知らない日本人へ

 

1951年、サンフランシスコ講和会議にて

第二次世界大戦で日本と戦った連合国は莫大な賠償を日本へ請求

 

さらに日本の領土分割案まで出ていた

東北地方以北をソ連統治、関東・中部地方をアメリカ統治、

中国・九州地方をイギリス統治、四国を中国統治というもの

 

その会議で、スリランカの大蔵大臣だったジャヤワルダナ氏は、

同じアジア人で仏教国である日本への想いを述べた

そのスピーチによって会議の方向が大きく変わったのだ

 

「日本から賠償をとるべきでしょうか?我々は権利を行使するつもりはありません。憎しみは憎しみでは消えず愛する事によってなくなります」

会場は万雷の拍手に包まれ、日本は分割統治を免れた

 

時の総理大臣:吉田茂は

「日本人はこの大恩を後世まで忘れてはならない」と語った

 

彼を知らない日本人は恥じなければならない

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